1978年11月 スカウティングに日本一周の記事を寄稿しました。
手作りキャンピングカーで日本一周ツアー
我々大学ローバーの5人はマイクロバスを改造した手作りのキャンピングカーで、今年の3月1日から4月20日まで50日間にわたる日本一周旅行を試みた。一行は東京小金井市を起点に紀伊半島・四国・山陽・九州・山陰・中部を回って一旦東京に戻り、再び東京から東北・北海道・東北そして東京へと全行程12,000キロを走破した。以下はその行動記録をまとめたレポートである。
★日本一周に挑んだ理由
我々が今回の試みを企画したのは、次の2つの理由によるものである。その1つは我々は日本に住んでいながら、日本の隅々について知らな過ぎることが多いと言うこと。それともう1つは、今年が自分たちのスカウト最後の年になるので、若い人たちの目標になるような大きなことを実行しなければならないと思ったからである。つまり、「日本を知る事」と「そのための手段である日本1周旅行を実行すること」の2つが今回の我々の日本1周ツアーの主な目的であった。
★2年前に計画
我々は、2年前に台湾遠征をやった。そして次回の目標を隊員の間で話し合った時、冗談とも、本気ともつかず、「キャンピングカーで日本一周ができたらなあ」と言う声が出た。それから1年後、団が中古のマイクロバスを10万円で購入したのを機に、今回の計画が急速に具体化していった。最初は全県の走破を考えたが、沖縄は費用と時間の点、それに、全員が既に行ったことがあることから除外することにした。旅行の手段としてはマイクロバスをキャンピングカーに改造して使用することにした。「日本の隅々を回ってできるだけ大勢の人と話したい」と言うねらいから、大衆食堂や銭湯、赤ちょうちんなどを積極的に利用することにした。コースの設定、車の改装、資金の調達等については隊の中から責任者を選んで処理していくことになった。
★準備は8ヶ月前から
昨年6月、団が購入した中古マイクロバスがキャンピングカーの”素材”となった。まず普通免許でも運転できるように椅子を外し、工夫を凝らして特殊車両として車検をパスさせ、10月から本格的な内部改造に取り組んだ。市内に自動車整備工場を経営する団委員の方のご協力で、エンジン、足回りをしっかりと整備していただき、隊員にも自動車に対する知識と基礎的な技術の研修させていただいた。バスの内部は、運転手席・助手席・ナビゲーター席・個人装備用ロッカー・飲料水タンク・流し台・食器入れ・食料入れ・ガスコンロ・昼は向かいあわせソファー・夜は2段ベットとなるようなソファーベッド・折りたたみ式テーブルなどを作り、また安全運行と記録のためにタコグラフを、走行中の情報収集のためと緊急時のためにモービルハムを、そして取材用にテープレコーダーを、ローカル放送を視聴するためにポータブルテレビとラジオを、車内各部へセットした。長さ6㍍幅1.75㍍高さ1.5㍍の空間に、これだけの物をおさめ、なおかつ大の男5人が生活するのだから、室内の配置には苦労した。このようにして、装備を整えたわけだが、車体をはじめとする内装品の数々は団関係者の熱いご好意によるものである。
ところで、日本各地を車で回るため当然、故障、事故、病気等の危険を伴うことも考えられる。そこで故障には日産自動車とJAFに全国的なサービス網をひいていただいた。また、事故に対しては保険に加入すると共に、団の内部に緊急支援体制を作ってもらった。
安全のため運転は3人でする。ナビゲーターは地図を見たりノートに記録する。
★日本一周をやり遂げたのは
我々が日本一周をやり遂げられたのは資金が潤沢からだったからではない。資金的にはむしろ不十分だった。にもかかわらず成功できたのは、多くの関係者のバックアップの賜物によるもので、大いに感謝している。
事実、日本一周にあたって我々の手に用意できた資金は、隊の年間予算から12万5千円、古新聞売却代の4万円、隊員がアルバイトで稼いだ46万円の合計62万5千円に過ぎなかった。
多くの関係者からは次のよう形でご協力をいただいた。日本一周計画を団内で発表した時まず、車両の購入、維持費が問題となった。しかし、団のご好意で、キャンプ時の人員、資材の輸送に使用することで、団が中古のマイクロバスを10万円で購入し、それをローバー隊が借用することになった。そのため、実際の維持はローバー隊が行うものの、車に係る原則的な費用である車検、税金、保険等は全て団が負担することになった。
また、その他の面では例えば育成会員の方々から多量の食品を寄贈していただいたり、改装に必要な品物やオイルなどを寄付していただいたり、改装作業への労働奉仕等を受けたりといった具合に、数え上げれば切りがないほどのご支援を受けた。また、育成会員を中心に13万円ほどの寄付金を贈っていただいたときにはありがたかった。
さらに、全国各地で出会った人々の温かいご配慮とボーイスカウト関係者の惜しみないご協力には本当に頭の下がる思いであった。
★日本列島走破日誌
3月1日 午後1時、東京・小金井市役所前で団関係者、父兄、市長に見送られて出発。夜10時、目的地の静岡についたが、まだこの大旅行を始めたという実感がわかない。
3月3日 四日市から伊勢神宮を通り、尾鷲へ。途中・予想外の国道の狭さにミスコース。しかし、すぐに気づき正しいコースに復帰した。この紀伊山地は、全重量が3トン近いのに92馬力しか出ない我々のキャンピングカーにとって、最初の難関である。
3月5日 潮岬を回り、和歌山県紀三井寺市へ。そこでスカウト関係者の大歓迎を受けた。
3月6日 奈良県明日香村、聖徳太子の生まれた橘寺のすぐ近くに宿泊。この飛鳥を中心として日本の古代国家が統一し始めたもので、日本の原点とも言える。
3月8日 京都から比叡山を経て六甲山へ。百万ドル夜景は確かに素晴らしく、寒い中を強風にもめげず、いついつまでも眺めていた。
3月9日 姫路城を見学した後、淡路島を通って、四国、室戸岬まで行く。四国に入ると台風のような強風雨に襲われ、まっすぐ走ることができないほどだった。
3月12日 夏目漱石の「坊っちゃん」で有名な道後温泉に入る。
3月14日 宇高フェリーで本州へ。午後9時30分広島県福山市へ到着。
3月15日 福山第1団ローバーの案内で久しぶりに車を降り、尾道から船で瀬戸内海の島を見学。
3月18日 下関から関門橋通り九州に。北九州市、行橋、宇佐を通り国東半島へ。ここでまたもミスコース。しかしお陰で国東半島の素晴らしさを知った。ここはやはり古い歴史があり、観光地化されていないだけ、本当の日本の姿をするのに役立った。
3月19日 別府から山並みハイウェイを通り阿蘇山頂へ。そして高千穂を通り、延岡市まで。雄大な景色は我々を魅了した。
3月21日 九州最南端佐多岬へ。ここはエジプトのカイロと同じ緯度だという。
3月25日 八代(ヤッチロン)からフェリーで天草諸島を渡り島原から雲仙へ、長崎へ。この辺の自然はとても美しい。近くに公害で問題になった水俣があるとは、とても思えない。
3月27日 福岡から太宰府を経て関門トンネルを通り再び下関そして萩市まで車を走らせる。
3月28日 萩資料館、松陰神社を訪れ、明治維新を支えた長州の歴史を振り返る。このツアーでは走ることに時間を取られすぎ、見学する時間を十分に取れない時が多かった。今日も、もっと見学したいところや話を聞きたいことがあったが、時間の都合でできなかった。
3月31日 能登半島の先端で目を覚ましたのが6時、平家の落人の家を見学して輪島の朝市へ。テープレコーダー、カメラで取材。高山へ向けて庄川沿いの道路をさかのぼったが、五箇山の合掌部落のあたりで雪のため行き止まり。そこで合掌造りの民宿に泊まった。
4月3日 南回りを終えて東京に到着。再出発の日まで車の点検や冬用の装備を整える。
4月6日 再出発。高速道路を使い、仙台へ。
4月8日 平泉中尊寺を見学した後、盛岡の少し手前で全員わんこそばにチャレンジ。100数杯食べた石井君がチャンピオンになる。
4月10日 本州最北端大間崎からフェリーで函館へ、午後9時ごろ雪の中を倶知安の下田豊松先達を訪ねした。今回の旅行の中で一番印象的な出会いであった。下田先達は本誌の6月号にも書いていられたが、第1回世界ジャンボリー(オリンピア)に参加され、ボーイスカウト運動を日本に紹介された人である。先達は1920年、英国のロンドンに自費で行かれたが、その頃使用された記章や書類を見せていただいた。
その黄ばんだ色に日本のボーイスカウト運動の歴史を知り、今我々がこの運動をできることのありがたさを痛感した。
現在、先達は92歳でどんなにしばれる日でも、朝5時半に起きて散歩、それからラジオの英会話を勉強するのが日課とか。
4月11日 札幌市郊外から道庁へ。留萌を通って日本海に沿って北上し、ノシャップ岬まで行く。
4月12日 日本最北端宗谷岬へ。日本海と荒海で有名なオホーツク海の分かれ目であるが、この日はとても静かだった。旭川まで行き、ボーイスカウト関係者のお世話になる。
4月14日 網走市から摩周湖を通り、日本最東端のノサップ岬へ行き、帯広まで行った。
4月16日 フェリーに乗ろうと函館港へ行ったが、お金が足りなくて乗れない。翌日、銀行から引き出してやっと本州へ。
4月19日 新潟出身の隊員の実家から新潟県連に行く。その後、バスを降り船に乗り佐渡へ。
4月20日 ついに最終日が来た。別に取り立てて言うほどの感情は無い。ただ浮き浮きして嬉しい。午後9時、無事小金井市の団舎に到着。
50日間11,954㌔を本当によく走り回ったものだ。中古キャンピングカーよ、ありがとう。
★日本一周を終えて
50日間で日本を一周することは、決して十分な時間では無い。しかし、その間、北は宗谷岬、南は佐多岬まで走り回り、色々な人と出会い、その土地土地の素晴らしさを味わった。多くの人から「今回の旅行で、どこが一番よかったか」と聞かれるが、その度に戸惑ってしまう。なぜなら、その土地土地には必ず素晴らしい点、素晴らしいところがあり、またそこに住んでいる人は、その場所をこよなく愛し、誇りとしているからである。
植村直己氏が5月1日、犬ぞりで単独北極点の到着に成功したが、この成功の陰には毎日新聞の記者と電通のプロモートする後援会事務所から派遣された2人の協力があったからだと思う。
現代の冒険や探検には、莫大な資金がかかる。そのためスポンサーを見つけざるを得ないのである。しかしこの点、スカウト運動は恵まれている。なぜなら団があり、隊があり、また日本中のスカウトがスカウティングによって結ばれているからである。
今回の一周旅行で、我々のスカウト関係者はもとより日本中の多くの方々のお世話になった。四方を海に囲まれた山国日本には、どんな不便な土地にも、気のいい、親切な人がたくさん住んでいることを体験した。
こうした周囲の人の親切さとチームワークが今回の計画を立派に成功させたものと思っている。






























